2015年9月30日水曜日

誕生日とツキ

9月27日は私の誕生日でした。1800の終業後、自分へのご褒美に吉祥寺のauショップでXperia Z4 tabletを購入した後、高校の後輩で新潟・津南の「松海寿司」の桑原亮くんの紹介により、三鷹台のガリシア料理の店「アエスピリトロンパ」に行って参りました。手続に時間がかかってしまい、予約の2000より10分遅れでの到着。






ガリシアというのはスペインの北西部、ローマ、エルサレムと並ぶカトリックの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラで有名な地方です。また、ここは三陸海岸や若狭湾のように入り組んだ海岸線を持っています。というよりも、こここそは「リアス」(スペイン語で入り江)の語源となった地なのです。当然、魚介料理は豊富。店主の太田さんは、技量をさらに高めるべく、今月中旬に松海寿司で研鑽を積んだとか。


ホッキ貝のカルパチョ。


活〆真蛸の鉄板焼き。


メニューにはないけれどお勧めされたシマエビのメロッソ。

どれもたいへん美味でした。店の造りもとてもよい。人に積極的に薦めたいし、自分でも何度も足を運びたい。この日は時間がなくて残念でしたが、次回はもう少し余裕のあるときに、肉料理やチーズ、ワイン以外の飲み物も試したいものです。

さて、39歳になりました。イヤでも余生というものを考えざるを得ない年齢です。写真家の大橋仁さんは「この写真集は30代のうちに出したい」と思い、全財産をはたいてただヒトによる「肉団子」を見るために撮った大作『そこにすわろうとおもう』を40歳の誕生日の2日前に出版したそうです。姫野希美さんは40歳を目前に控えて、「人生は短い。純粋に作りたいと思う本だけを作りたい」と思い、赤々舎を立ち上げたそうです。

翻って私自身はどうかな?これからの自分に何ができるかと問う以前に、今の自分に何ができているかを問う方を優先させるべきでしょうね、私の場合は。

でも、余生の可能性について、今とは違う何かについて、全く考えていないわけではないですよ。こう見えてかなりの野心家なのでね、僕は。

この夜は中秋の名月。30代最後の1年のスタートは、ツキに恵まれたな。そういえば芭蕉は「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠んでいたはずだ、と思い、井の頭池のある井の頭恩賜公園へ。



しかし、いくら池をめぐっても、水面に映るは街灯ばかり。ふと夜空を見上げれば、もはや雲に隠れて照る月の光も見えず。

よけいなことを考えると、ツキに見放されるよってことか。

芭蕉は「夜もすがら」だそうですが、私は終電で帰りました。翌日も仕事でしたのでね。

2015年9月21日月曜日

まさに大地の藝術! ~越後妻有アートトリエンナーレ2015とその周辺④~

1641、津南駅着。


昨年父の還暦祝いで訪れて以来、2度目。


信濃川は数日続いた雨でご覧のありさま。


この頃には雨は上がっており、きれいな虹が架かっていた。この写真を撮っている間、斜面になっている細い道の上に自動車が停まっていて、ヘンなところに駐車しているなあ、と気になっていたのだが、おじさんが乗っていた。私が車道で写真を撮り終えるのを待ってくれていたようだ。すみませんでした。

津南というのは、鈴木牧之『北越雪譜』に出てくる秘境・秋山郷をかかえる町である。人口は1万人ほど。当然ながら自然の豊かなところだ。昨年訪れた際の写真を何枚か載せておこう。


湧水・竜ヶ窪。


蛇淵の滝。


中津川渓谷。

まさに大地の藝術ではないか。



そして、ついに来ました「松海寿司」。高校の後輩がやっている。昨年も来る機会があったのだが、仕事の関係で来られなかった。


まず先付け。「苗場山」という津南の地酒は、瓶からして美味しそう。実際にももちろん美味い。飲食店専用タイプだそうで、和洋中どのような料理にも合うようにさっぱり作ってある。先付けもそれぞれ美味しく、ベストミックスだった。


お造り。すばらしい。


もずく。これも十分すぎるほど美味しかったが、春にはさらにおいしい村上産のもずくが食べられるという。




2杯目は「牧之」。1年寝かせたもので、独特の粘りけがあり、これはクセになりそうだ。このあともう1杯いただいたけど、情けないことに名前を失念してしまった。上越の酒だったはずだが。フルーティーな味わい。3杯とも申し分なかった。




料理もどれもたいへん美味しい。否、「たいへん美味しい」の一言でまとめてしまうのは著しく不適切だ。表現力不足で申し訳ない。みなさんもぜひ一度足を運んでいただきたい。


イカの塩辛。僕はイカの塩辛には実はけっこううるさいのだけど、この店が出すものが悪いもののはずがない。実際、非常に満足のいく味だった。


仙台牛。これ、塩でも食べたのだが、この塩がまた旨い。村上のものというが、結晶が大きく粗くて食べ応えがある。これだけでも酒のつまみに十分だった。

最後ににぎり。


甘エビ。しっぽが取ってある。当然だけど、こちらの方が食べやすい。

今回料理を作ってくれた桑原亮くん同様、僕も実は料理屋の子として生まれた。で、子どもの頃の共通体験がこのエビの皮剥きだ。僕は家を継ぐ気が端からなくて、現在は妹の夫、つまりは義弟が後継者になっている。亮くんも最初はその気はなかったそうだが、大学時代に家業を継ぐ決意をしたとか。その他、飲食業の家に生まれた者の体験諸々を話したが、楽しかった。





いやあ、あらためて振り返ってみたけど、すごいものを食べさせてもらったなあ。何というか、これからも生きていこうという糧を得た。人として生を受けたからには、俺は時々こういうものを食べられるくらいにはがんばりたい。




駅に戻る。間もなく十日町方面の終電が来る。


今回もまたすばらしい旅であった。

まさに大地の藝術! ~越後妻有アートトリエンナーレ2015とその周辺③~

1300、十日町駅着。


駅には高校時代に訪れたことがあるから、これが20年ぶりくらいだと思うけど、あの頃の駅がどんな感じだったかは、もはや覚えていない。町自体には昨年父の還暦祝い旅行の際に昼食をとるために訪れた。

まずは、十日町市博物館をめざす。


ここには、まさに大地の藝術とよぶに相応しいものが展示してある。


新潟県で唯一の国宝、「火焔型土器」。十日町市の笹山遺跡で1980年代前半に行われた調査により発掘された。今から5000年ほど前、縄文中期のものだ。土偶もそうだけど、縄文人の造形にかける情熱には舌を巻く。そして、このような精緻な土器が、5000年後の現在に発見された奇跡に驚嘆させられる。これを作った我らの祖先も、まさか自分が作ったものが5000年後に伝わるなどと、思っても見なかっただろう。

国宝と呼ぶに、これほど相応しいものはない。

ただ、私にはちょっと引っかかることがあった。それは、昨年、写真家の田附勝さんのトークイベントに参加した際に、田附さんが、展示してあるような土器は、整いすぎていてどこか違和感があると言うようなことをおっしゃっていたことだ(私の記憶はあまり正確ではないかもしれないけど)。それを聴いたときは、僕は、田附さんはちょっと考えすぎなんじゃないかな、と思ったが、あれはずっと引っかかっている。田附さんは、今まで膨大に発見されている縄文土器のうち、研究室の奥底に眠っている欠片のようなものの撮影に取り組んでいる。写真を通じて「縄文人が見ていたような土器の姿」を浮かび上がらせようという。



博物館内のこの引き出し、1つごとに土偶や石斧などの小さな欠片がたくさん入っている。笹山遺跡の規模の大きさが伺える。

他の展示も興味深かったが、じっくり見るにはやはり残念ながら時間が足りない。日帰りは無理があったなあ。


博物館内にあった眞田岳彦「『大地を包む』―風土の技」。



博物館を出て、飯山線の線路を渡る。


今回の芸術祭で1、2を争う話題作、目の作品「追憶の成立」。話題なのはネタバレ厳禁だからで、このコインランドリーの中が作品になっている。週末ともなると、たいそうな行列だとか。この日(水曜日だったが)も、ご覧のように行列ができていた。で、私は回避した。

おまえはあれか、ラーメン屋になら1時間以上でも並ぶくせに、現代アートのためには1分でも並べないというのか!?という批判は、甘んじて受けるつもりだ。でも、作品には見るべき「時」というものがあって、今回は自分にとってはそういう時ではないと判断した。

ガイドブックによると、「実は別の店だったのではないか、実は別の道だったのではないかと『そうではなかった可能性』を体験できる空間をつくりだす」とある。「そうではなかった可能性」、私もいつも考えている。

ちなみに、僕はコインランドリーが好きなのだが、このサイトには常々感心させられている。

この地域の中心施設、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。


中には「明石の湯」という温泉もあるんだけど、残念ながら水曜休館。芸術祭期間中くらいは無休にしてくれても良いと思うんだけどなあ。


蔡國強の「蓬莱山」。蓬莱山は中国の伝説上の島で、神仙が住み、不死の薬、金銀の宮殿があるという。秦の始皇帝が徐福を派遣したが、彼はそのまま日本に来たという伝説もある。

美術館内にも当然いくつかの作品があるのだが、不思議なもので、美術館の外に展示してある作品の方が活き活きと魅力的に見えた。


十日町産業文化発信館いこて。中では、研究員が地域の家庭にホームステイし、さまざまなエピソードの聞き取り調査を実施し、独自の視点で収集した資料が展示されていた。本来なら一つ一つとても興味深いはずだが、残念ながらこの頃には私はかなり疲れてしまっていて、集中力が続かなかった。


ところで、この「いこて」の立つ場所には、かつて「深雪観音堂」があったという。これは、1938年1月1日、「旬街座」という映画館の屋根が2メートルの積雪で崩壊し、死者69名、重軽傷者92名を出した大事故の慰霊のために建てられたという。しかし、老朽化のために現在は撤去されている。堂内には「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げ里」という句が掲げられていたという。十日町は、日本有数の豪雪地として教科書では必ず取り上げられる町である。


まっすぐ駅に続く商店街のアーケードに、女性が机を出して受付をしているのが目に入ったので、パスポートにスタンプを押してもらって2階に上がった。一緒に入った品の良いおばあさんにこの作品の名を問われ、慌ててガイドブックをめくった。黄世傑「合成ミクロコスモス2015」。「小宇宙という意味ですね」と一応お答えした。へえ、そうですか、というお返事をいただいた。

かつてバーとして使われていた店内が作品となっている。おばあさんが去った後、1人になった私はバーカウンターに立ってみた。


かつてこの店をやっていらっしゃった方は、何歳くらいだったのだろうか。男性か、女性か。何年ほどおやりになっていたのだろうか。どのような客を、このカウンターからもてなしただろうか。いま、どこで何をやっているのだろうか。そういったことを想像した。


1614、飯山線で十日町駅を出る。津南に向かう。

まさに大地の藝術! ~越後妻有アートトリエンナーレ2015とその周辺②~

芸術作品を見ることの効用の一つは、「眼の活性化」であろう。


別に芸術作品など展示していなくても、棚田のある風景に目が行ってしまう。


普通のお寺だけど、なかなか立派な三門だ。


木造家屋の板壁の濃い醤油色にも風情が感じられる。


この辺りは日本有数の豪雪地帯として知られるが、このお宅のように、入口が2階にあったり、雪で埋まらないように覆われたりしている。


これも別に今回の芸術祭の作品というわけではないが、妙に感動してしまった。観音像が高く掲げてあるのは、雪に埋もれぬためであろう。観音像ののる柱には、「みんしゅうかんわん」と刻まれている。「松代デモクラシー」を見た、と思った。


お午だ。昼食はここ、「澁い」でとることに決めていた。明治期からの旅館だった建物をドイツ人の古民家再生建築家カール・ベンクスが4年前に建て直し、渡辺紗綾子さんという29歳の女性がこの6月にオープンさせたという。ガイドブックには載っていない。そもそもそんなもの、たよるわけないじゃないですか、この私が!


この日はキッシュのランチしかないというので、それを注文した。


どれも美味だったが、とくにこのポタージュが本当に美味しかった。私はポタージュには弱い方である。「弱い」というのは、どんなポタージュでも必ず旨いと感じてしまうという意味だ。しかしここのかぼちゃのポタージュは本当に別格で、今まで飲んできたものの中でもベストワンくらいじゃなかろうか。唇に触れる滑らかさも癖になりそうだったし、直接器に口をつけて吸い込んだその味も香りも、すばらしすぎて思わず仰け反ってしまった。これはすごい!ポタージュ、できればおかわりしたかった。


洋なしのコンポート甘みから苦みまで、サクサク感からしっとり感までそろっている。美味。


この「雪国紅茶」ってのもとびきり美味しかったなあ。ちょっとビックリした。

ちなみに、この日は地元の着物作家・市村久子さんの作品が店内に展示してあって、ご本人もいらしたのだが、私自身は着物には普段からさほど関心があるわけではないので、あまり見ることはなかった。でも、今考えるともったいなかったなあ。こういう出会いは本当は大事にしないといけないのに。


この赤いふんどしをした少年の群れがなぜここに立っているかといえば、それは後ろにある(写真だとわかりにくいけど)農業用ダムの威容にインスパイアされたに違いない。とにかく存在感のあるダム。


ふんどしの少年群と同じ関根哲男による作品「原生―立つ土」。

小荒戸集落・十二神社。






キジマ真紀「鳥と小荒戸のものがたり」。集落の人びとが、一羽一羽、願いや想いを託した空想の鳥を制作したものであるという。ここもまた、芸術祭がなければ訪れることはなかっただろう。そして、この国にはこのような神社が数えきれぬほど存在するはずである。集落自体が次々と消滅して行くであろう今後、このような神社はどうなっていくのだろうか?

十二神社はまつだい駅から1kmちょっと。ほくほく線の発車が1251で、この時の時刻は1236。小雨の中、猛然とダッシュ。

私は新潟県生まれなのだが、松代はこれが初めての訪問だった。本当にすばらしい町じゃないか。またぜひ訪れたい。


最後に、彼女の作品にも挨拶をした。