2015年11月24日火曜日

海と荒野と連休と

4連休中3日目の夜を迎えている。

この間何をしていたかといえば、ほぼ家に籠って活字の泉に浴していた。今日は多少外を出歩いたが、一昨日・昨日は予め箱買いしておいた「午後の紅茶 エスプレッソティー」を次々に空け、腹が減ったらこれもキッチン下にしまってあった「カップヌードル」などを食した。そして昼夜を問うことなく寝たいときに眠った。

我が家は「荒野」である。さすがに本物の草が生えていたりはしないが、読み散らした新聞が床全面を隠し、本はその紙どもを掻き分けつつ「発掘」していく。比喩ではなく完全に文字のとおりに「手/当たり次第に」読んでいった。本棚には何が入っているのか?ここに引っ越してくる前は、亡き母方祖父に高校入学祝いに買ってもらった立派な本棚には、コーヒーの空き缶が並んでいた。「まるで射的場だな」と、友人に呆れられたものだ。今はさすがに「荒野」に放置するにはしのびない大判の写真集や雑誌が横にして積んである。逆に、新書や文庫本はほぼ「荒野」の中だ。見つからなくなってしまうこともしばしばに及ぶ。

今回は買ったまま読む機会がなかったものではなく、1度読み通したものばかりに絞った。「発掘」されたら最初から読むのではなく、適当にページを開いて読み進める。数ページ読んで次の「発掘」に取り掛かったものもあれば、結局最後まで読み通したものもある。

試みに、この3日間で部分的にでも読んだ本を挙げてみると以下のとおり(順不同)。

『職業欄はエスパー』『クォン・デ もう一人のラストエンペラー』『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』(森達也)
『完本 1976年のアントニオ猪木』(柳澤健)
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 上・下』(増田俊也)
『現代の貧困』(岩田正美)
『貧困の中の子ども 希望って何ですか』(下野新聞子どもの希望取材班)
『始祖鳥記』『出星前夜』(飯嶋和一)
『陰日向に咲く』(劇団ひとり)
『夜は終わらない』(星野智幸)
『JR上野駅公園口』(柳美里)
『教養としてのプログラミング講座』(清水亮)
『愛しのインチキガチャガチャ大全 コスモスのすべて』(ワッキー貝山・池田浩明)
『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』(高山なおみ)
『切りとれ、あの祈る手を 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(佐々木中)
『源実朝 歌と身体からの歴史学』(五味文彦)
『資本主義という謎』『生権力の思想』(大澤真幸)
『徒然草』(兼好/島内裕子訳・校訂)

いずれも名著ばかりで、だからこそ残しておいてある。しかし1度以上は読み通したはずなのだが、こんなことも書いてあったのかと心揺さぶられることも何度もあった。

「学生時代は夏休みになるとリュックサックに本を詰め込んで山に登り、大学の山寮で過ごした」と言っていたのは、私が入学したときに学長だった故・阿部謹也だっただろうか。うらやましいなと何度も思い出すエピソードだが、この連休の私はそれに近い。なかなかに贅沢ではないか。

池袋に「泊まれる本屋」ができた、というニュースを最近見た。が、率直に言ってコストパフォーマンスが悪いと思う。とくに東京であれば、立ち寄るべき書店は街のそこかしこにまだまだ点在する。それらの間を遊泳した方が、読むべき本にも、あるいはそれ以外のものにも出会える可能性が多くあると私は思う。

今日の昼は久しぶりに分倍河原の和食の店「佐とう」。年に数回しか伺わなくてホント申し訳ない。店主の佐藤さんは、「分倍河原にも海があると思わせたい」という心意気。

海鮮膳は相変わらず凄すぎ。