2015年12月24日木曜日

おもひでのラハメン ラハメンヤマン@江古田

12月16日。ずいぶん久しぶりに西国分寺駅以北の武蔵野線に乗ったが、西国分寺↔新小平のトンネルってネットつながるようになったのね。府中本町↔北府中は相変わらず繋がらないんだけど。新秋津駅で降りるつもりが、久しぶり過ぎて乗り過ごし、北朝霞駅で折り返し。




新秋津駅前の変貌ぶりにびっくり。かつて駅前にあった味のある大衆食堂が松屋系列の店になってしまっていた。その他もチェーン店ばかり。かつてこの街に存在した名店「味よし」についての私のブログ記事

けっこう熱いことが書いてあって我ながら笑ってしまった。

江古田も数年ぶり。久しぶり過ぎて時間距離が分からなくなっていた。府中本町駅からだと1時間ほどもかかるのか。







「ラハメンヤマン」はおもひでのラハメン屋である。かつて、新潟に2年ほど帰郷していた際に、ケータイサイト「超らーめんナビ」の掲示板で、見ず知らずのご親切な方にこのお店を教えていただいた。その後東京暮らしに戻り、数年して行ってみた。とても旨かった。教えていただいてからその時点で3年ほどが既に経過し、私も教えていただいた方も全然掲示板に書き込まなくなっていたが、しかしお礼が言いたくてその旨を書き込んだ。すると、答えてくださった。もう1年以上その方は書き込んでいなかったので、退会されたのかと思っていたが。



「味噌らはめん」に「バター」、それと「ミニ角煮丼」をたのんだ。



それ以来7年ぶりに訪れた。やはり「ありがとう」と言いたくなるような名店であった。

その「ラハメンヤマン」と江古田駅の間にあるのがアメリカンカフェ「Hello Old Timer」で、通りがかりに店内を見たら赤ちゃん連れのお母さんが2組もいらして、これはいい店に違いないと思い、入ってみた。




ベリーバックルケーキをブレンドで流し込む。



思った通りの良店。

『貧困の中の子ども 希望って何ですか』は、何度か紹介しているけど、下野新聞の連載を書籍化したもの。新聞ジャーナリズムの力を伝えるすばらしい内容で、数々の受賞も当然だろう。ぜひ多くの人に読んでほしい。

2015年12月13日日曜日

はねばはねよ、をどらばをどれ ~「国宝 一遍聖絵」展を遊行す~

12月11日。この朝はひどい嵐だったという。私は眠っていたので、気がつかなかったけど。起きたのが1018。本当は藤沢・清浄光寺→金沢文庫→横浜・馬車道と回るつもりでいたのだが、金沢文庫はカットせざるを得ないと判断した。前夜の徹夜が効いてしまったなあ。

1129府中本町駅発の南武線快速列車にぐだぐだと乗り遅れ、次の1137発に乗車。登戸駅で小田急線に乗り換えるも午前中の荒天の影響で列車の本数が減らされていたりして、予定より30分ほど遅い1315頃に藤沢駅に着いた。


藤沢は鎌倉旅行の乗り換えで利用することが多く、駅の外に出るのは数年ぶり。


遊行ロータリー。


境川の縁では、鳩がたくさん並んで羽を休めていた。


時宗総本山清浄光寺。数年ぶり。以前来たときは改修工事中だった。


今回の神奈川遊行の目的は特別展「国宝 一遍聖絵」の鑑賞だ。一遍は、説明するまでもないと思うけど、鎌倉新仏教の一派・時宗の宗祖だ。時宗の特徴は、なんといっても踊念仏である。名号に節をつけて唱えながら踊る踊念仏は、しかし、一遍が起源ではない。一遍に先立つこと300年、10世紀に民衆に狂躁的な口称念仏を広め、「市聖」と呼ばれた空也もまた、平安京の市中に踊った。信心を得て、往生する喜びが自ずと踊りとなって現れるのだという。信仰と身体の融合。とても納得のいく話だ。宗教とダンスの組み合わせはもちろん仏教に限らない。時宗と同じ13世紀にアナトリアに起こったイスラーム神秘主義教団・メヴレヴィー教団は、音楽にあわせて旋回する独特の儀礼から「旋舞教団」の異名をもつ。



僕は空也を尊敬していて、彼がたてた京都・六波羅蜜寺にとても少額ながら毎年寄付をしており、ために「御篤信之証」というプラスチックカードを戴い ているくらいだから、もちろん一遍も好きだ。とくに、北は陸奥・平泉から南は大隅・鹿児島神宮まで、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書かれた算を配 り、念仏を歌い踊って人々を救済するため全国を巡ったその50年の生涯には、強く惹かれる。



その一遍の生涯の旅路を描いたのが「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」だ。しかし、実物を見ればわかるけど、主人公であるはずの一遍の扱いはとても控えめで、全国の景観、風俗を独特の画風で詳細に描いてあり、当時の社会・文化を知ることのできる一級の史料になっている。



で、その「一遍聖絵」の全12巻が、今回展示された。会場は藤沢にある時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)と、神奈川県立金沢文庫(鎌倉時代、北条実時が建てた私設文庫が起源)、横浜・馬車道にある神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店本館)の3会場。そのうち、先にも述べたように、金沢文庫は今回は訪れられなかった。


印象に残った物をいくつか紹介する。



まず、やはり「一遍聖絵」で最も有名な場面は備前国福岡の市であろう。妻が一遍に帰依して勝手に出家してしまったことに激怒した吉備津宮の神主の息子が、従者2人を連れて今にも一遍に刀を抜こうというあの場面だ。同場面には、道路を挟んで建てられた仮小屋に、所狭しと様々な品物が並べられ、当時の活発な商品流通がとてもよくわかる。市に買い物に来た人々のうちの一部は騒ぎに気づいて遠巻きに眺めているが、一部は構わず取引に夢中だ。この辺のリアリティがおもしろい。



この場面の前後にはもちろん続きがある。出家する妻、激怒して馬に乗り、凄まじい勢いで一遍を負う男。そこには、徒歩で従う二人の従者も、不安げに家の中から覗く妻の様子もきちんと描かれている。で、市で一遍と対峙した男はそのあとどうしたかというと、一遍のただならぬ尊さに打たれ、なんとその場で一遍を導師に出家してしまうのだ。一遍との対峙の図は、緊迫した場面なのにどこか間抜けな感じが漂うが、それはこの男の直情径行、単細胞ぶりの反映だろう。男の出家には件の従者2人も立ち会っているが、主人のこの変わり身の早さにどことなく呆れているようにも見える。




信濃国佐久郡の武士・大井太郎は、一遍に帰依し、時衆を屋形に招き入れる。屋形では、数百人の時衆が踊り、縁側が踏み落とされてしまう。しかし、大井太郎は、それを修繕しないように命じたという。一遍たちと踊った記念として。ちょっと涙が出そうになった。人の営みとはそういうものだよなあ。




鎌倉入りを太守(北条時宗か?)に拒否された一遍は、郊外・片瀬の浜の地蔵堂で踊念仏を興行する。この時、散華や紫雲などの奇瑞が現れ、そのことを問われた一遍は次のように答える。「花のことは花にとへ、紫雲のことは紫雲に問へ、一遍しらず。」鳥肌ものだ。かっこよすぎ。



この他、十三歳での旅立ちの場面や多くの人々に囲まれての臨終の場面、富士山や厳島神社などの名所図など、本当に見処たっぷり。



「一遍聖絵」以外では、一遍の直弟子で時宗教団の実質的創始者・他阿真教坐像の凄まじいリアリティに圧倒された。自然と合掌してしまった。




いやあ、本当にすばらしかった。ううむ、もっと早く見に行けばよかったなあ。


帰りは大好きな街・溝ノ口に久しぶりに降り、「長浜ラーメン博多っ子」に寄りました。






一遍は、次のような歌を遺している。

「はねばはねよ をどらばをどれ
はるこまの のりのみちをば
しるひとぞしる」

2015年12月8日火曜日

「美談」と「脱近代」

『朝日新聞』のこの記事について。はっきり申し上げよう。酷い記事だと思う。これが「美談」として語られることに、実に暗澹たる気分になる。

被疑者は逮捕されただけである。何人も有罪を宣言されるまでは無罪と推定される。「無罪推定の原則」は近代法の常識だ。これは逮捕された男性(記事中では「男」)が実際に有罪になるかどうかとは、全く関係のないことだ。

記事中の女性が被疑者の逮捕で救われた思いになることを、批判したいわけでは当然無い。それは彼女の私生活上のことであり、彼女の「自由」の領域だ。それを蹂躙する権利は私にはない。

問題にしたいのは、もちろんこの記事を書いた者のことだ。「無罪推定の原則」に目をつむり、読者大衆に阿ってきたことで、いったいこれまで幾人が冤罪の犠牲になってきたのか。もちろん、これは人数の多寡だけを問題にしているのではない。冤罪を1人生むだけでも重大な犯罪行為である。

『朝日』の記者が、その程度の教養もなくてどうするのか。「事実を記事化しただけ。記事をどう解釈しようと読者の勝手」とでも言うつもりなのか。記事化するのに躊躇いがあったようには、少なくとも私には読めない。

2015年は、「無罪推定の原則」だけでなく、「法の支配」や「立憲主義」など、「近代」の「常識」であるべきことが、この国にはさっぱり定着していないことが(うすうす気づかれてはいたが)完全に明らかになった年だったと思う。明らかになって、反省されるどころかますます「近代」から遠ざかろうとしているように私の目には映る。

ため息が寒さで可視化される、冬とは残酷な季節ですね。