2016年7月8日金曜日

「多様性」の保守のために、参院選の投票先を考えてみた

今朝は分倍河原の「オールウェイズソバ」で大盛無料サービスの蕎麦の思いの外に多い量に電車を逃しそうになり、昼は全国有数のラーメン激戦区・八王子において頂点に立つ「圓」に数年ぶりに行き、町田のネットカフェ「バグース」で3時間パックの全てを『蒼天航路』の読解に費やし、仙川の大名店「メネフネ」を花見以来で訪問し、その向かいにあるカフェ「レキュムデジュール」で飲酒後のパフェとコーヒーを楽しみながら、参院選の投票先について考えた。
 
結果、比例区は田村智子さん(共産党)に、選挙区は小川敏夫さん(民進党)に投票することにした。
僕は今のところは共産党の支持者なので、田村さんへの投票は正直選挙前から決めていたが、選挙区については山添拓さん(共産党)に投票するつもりだった。が、新聞各紙の序盤の情勢分析で、小川さんが劣勢で、田中康夫さん(おおさか維新)が当選しそうだと知り、迷いが生じた。僕はもちろん、民主党政権下の諸政策については完全に失望している。彼らは政権獲得前に打ち出していたリベラルな諸政策をほとんど反故にした。誰もが気がついているかとは思うが、それこそは現在のこの国の政治の混迷のもととなっている。特に、2010年、つまりは今回改選を迎えた参院選における当時の首相・菅直人の言動は、民主党が勝てるはずだった選挙を敗退に導き、その後の「滑り台」のような状況のもととなった。小川さんにしても、法相時代に死刑を執行したことは全く容認できない。(ただし、彼は同じく民主党政権の法相として死刑を執行した千葉景子さんと違い、最初から死刑存置の立場だったが。)
 
 
ただ、やはり今回の参院選の最大の争点が憲法の取り扱いである以上、小川さんに投票するのは、断腸の思いではあるが、やむを得ない。山添さんはこれによって確かに落選に一歩近づくが、小川さんは一歩当選に近づく。そして、山添さんと小川さんの落選可能性を勘案すれば、前者の方がはるかに小さいだろう。ちなみに、小川さんのこれまで当選を重ねた過去3回の参院選について、実は僕は毎回小川さんに投票している。各回において、それが最良の選択だと判断してきたためだ。
 
 
ところで、「ポリタス」の東浩紀さんの記事(http://politas.jp/features/10/article/501)が話題になった。この記事には、共感できる部分と共感できない部分がある。まず、9条と自衛隊については全く矛盾しない。東さんはご存じで仰っているんだと思うけど、9条2項の「前項の目的を達するため」は、第90回帝国議会の帝国憲法改正案小委員会(芦田均委員長)で追加された文言である(芦田修正)。芦田は戦前・戦後を代表するオールドリベラリスト、つまりは保守政治家である。GHQ草案を修正・可決した当時の帝国議会では、彼のような保守政治家が多数を占めていたと言って良い。この修正は、将来の自衛のための戦力の保持に含みを持たせるためだったとされており、だから66条2項に文民統制条項が入れてあるのだ。芦田らの当時の保守政治家は、つまりはそれほどの長期的視野・専門的視点=知的観点で修正作業を行っていた。こういう「複雑さ」を東さんは嫌っているのだろうが、じゃあどの程度憲法の文言を易しくすべきなんでしょうね?全てを易しくすることは、そもそも現実的じゃないと思うけど。
 
 
 
また、東さんは共産党の掲げる政策の非現実性について言い立てている。確かに、共産党の掲げる政策の全てが実現できるとは僕も言い難い。が、たとえば「8時間労働で十分暮らしていける社会の実現」って、そんなに非現実的ですかね?ならば、現在の労働基準法を中心とする労働法制にはとても問題があると言わざるを得ない。直ちに改正すべきでしょうね。例えば残業代をゼロにするとかですか?ついでに言えば、自民党の掲げる政策も全てが実現可能なわけではない。東さんも言っている通り、アベノミクスは成功というには程遠い。自民党の政策の一部が実現しているのは、彼らが現実に政権を担当しているからに他ならない。
 
 
憲法に話を戻す。(まだ付き合って読んでくださっている方はいるかしらん?)
『週刊ビッグコミックスピリッツ』が憲法特集を組んで話題になっている。今日私は実は各書店を回って入手しようとしたのだが、いずれも売り切れだった。その中でも東京女子流の新井ひとみさんの発言が注目されている。
「日本国憲法を初めて読んでみて、いいこと書いてあるなぁと思いました。
「第三章 国民の権利及び義務 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」が特に気に入りました。表現することは自由で、憲法に守られているんだって。私も表現者のひとりなので、心強く感じました。後はやっぱり、第九条 戦争の放棄ですね。私は絶対戦争は嫌なんです。日本国憲法を守っていってもらいたい。だって、いいこと書いてあるんですから!」
 
 
荻窪の書店「title」で先頃「日常と憲法」という展示を行った写真家・一之瀬ちひろさんと共通する視点である(http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12420745.html)。まずは、憲法を読んでみること。それによって、憲法が絵空事ではなく、我々の日常を紛れもなく規定していることに否応なく気づかされるはずである。特に憲法前文の不必要なほどの「熱さ」は、この憲法が1946年11月3日、つまりは敗戦からほとんど間を置かずに公布されたことも想起すると実に感動的だ。ちなみに、東京女子流主演・山戸結希監督の映画『5つ数えれば君の夢』は近年まれに見る傑作である。
 
 
護憲か改憲かは、実は今や問題ではないと僕は思っている。現政権が憲法を無視し、あるいは度を超して恣意的に解釈し、立憲主義、法の支配を事実上無効化していることこそが問題なのだ。手続きに基づいて憲法の改正を目指すなら実はまだ良いのだ。それで改正されるなら(私は反対だけど)、まあ、仕方がない。が、現政権はそれを必要としていない。まさに「人の支配」である。より深刻なのは、少なからぬ有権者がその事を認識しながらも、むしろ積極的に「人の支配」を支持しているように見えることである。
 
 
私は、本当に保守すべきこの国の、この社会の価値とは、「多様性」であるとつねづね思っている。それは、例えばお決まりのチェーン店だけがロードサイドに蔓延るような景色ではなく、「メネフネ」や「レキュムデジュール」のような個人経営の名店が日本のそこかしこに生き残ること、そのために、我々庶民が、なけなしの財布の中身を適度に消費でき、それにより生きる意味、働く意味を感じ続けることができる社会である。その実現のためには立憲主義を取り戻すこと、経済政策の方向の修正が必須だと私は考えている。
 
 
以上が私が今回投票先を決めた理由である。まあ、選挙の結果がどうであれ、この社会は終わらない。我々に常に必要とされるのは、cool heads but warm heartsなのでしょうね。