2017年7月10日月曜日

鳥にしあらねば ~初めての沖縄④~

9日。0600頃起床。
高速流大入口バス停から那覇市内へ。
沖縄のバスは時間にルーズだと、友人には教えられていた。が、2日間バスを使い倒したが、遅れは最大で10分ほど。その程度ならば東京でもよくあることで、十分に許容範囲内だ。

朝だったので、高校生が乗り降りしていた。沖縄の高校生とバスについては、事前にこんな記事を読んでいた。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-469609.html
バスを乗り継ぎ、斎場御嶽入口に到着。琉球最大の聖地・斎場御嶽には「南城市地域物産館」でチケットを購入する必要がある。開くのは0900で、それはもちろん知っていたのだが、早めに窓口を開けていたりするのではないか、と多少期待していた。が、どうやら時間通りに開けるらしい。この日は予定が詰まっており、ちょっとした時間も惜しい。ならばとるべき道は一つだ。
旅先では、時間的制約の大きい方を優先的に回った方がよい。でないと行きそびれてしまう。南城市地域物産館から安座真港までは1.5kmほど。ほぼずっと下り坂だが、これは要するに帰りはずっと上り坂だってことだ。やれやれ。
安座真港からは1日6往復のフェリーが出ている。行き先は斎場御嶽と並ぶ琉球最大の聖地・久高島だ。
20分ほどの船旅で久高島に到着。徳仁港フェリーターミナルで電動自転車を借りる。
久高島は周囲8kmほどの平坦な島で、徒歩で回れなくはないが、やはり自転車のほうが効率がよい。
「イシキ浜」は五穀の入った壺が流れ着いたという伝説のある。沖縄の農業の発祥の地だ。
浜の近くには祈りを捧げる場があった。沖縄では、この四角い石が祈りを捧げる場のしるしとなっている。
島内には案内板のようなものはあまりない。時々、森林の中につながる道があったりする。が、ここは「神の島」だ。観光客が観光気分でやたらに足を踏み入れたりしてはならないだろう。

アマミキヨが最初に光臨したとされる島北東端の「カベール岬」。
「神の島」である久高島の中でも、最大の聖域がフボー(クボー)御嶽」。12年に一度、この島で行われる神事「イザイホー」の舞台である。が、1978年を最後に行われていない。御嶽はこの奥にあるが、現在は何人たりとも立ち入ることはできない。
神女(ノロ)が禊を行う井戸「ヤグルガー」のある海岸。ここも立ち入り禁止。しかしここから眺める海は本当に美しい。
久高島簡易郵便局。旅人が宿泊することも可能だそうだ。
久高小・中学校。全学年あわせて5学級・23人が通う。





徳仁港に隣接する食堂「とくじん」で昼食をと思ったのだが、いつまでたっても開く気配がない。あきらめて客船ターミナルで氷ぜんざいと豆シェイク。
ぜんざいを食べ終わり、ダメもとでもう一度「とくじん」を覗いたら、開いていた。

島特産「イラブー」(海蛇)はさすがに手を出せず。「とくじん定食」というものを注文した。食堂のテレビでは民放の番組が流れている。家にはテレビがないので、普段はもちろんテレビを見ないのだが、この日は坂上忍が日本の政治について適当なことをしゃべっていて、実に不愉快であった。芸能人は政治を語るなと言っているのではない。彼は徹頭徹尾ポジショントークしかしていない。しかも意味ありげに、だ。ポジショントークに意味があるとすればそれは彼の人生においてのみだ。そんなものに視聴者が付き合う必要はない。その程度のことが判断できるようになることを「メディア・リテラシー」という。よく皆さんこんな番組に耐えられますね。いずれにせよ、この「神の島」を汚す舌の持ち主だな、彼は。
秋篠宮夫妻がこの島を訪れたことがあったようだ。それは来るべきでしょうね。彼の一族とアニミズム的信仰には、浅からぬつながりがあるのだから。

久高島はすばらしいところだった。またぜひ訪れたいし、沖縄に来る人はぜひ一度は来るべき場所だと思う。
徳仁港から安座真港に戻り、坂道を延々と登って南城市地域物産館でチケットを買い、いよいよ「斎場御嶽」へ。
この琉球最大の聖地が「パワースポット」などと呼称されることについて、私は常々本当に腹を立てていた。そんな風に簡単に類型化すべきものではないだろう。あれもこれも一緒くたにするなよ!斎場御嶽はオマエが「パワー」を得るためにあるものでは断じてないぞ!少しは歴史に謙虚になれよ!

が、現地に行って驚いた。斎場御嶽に向かう道は、完全に観光地化されている。道の両サイドには土産物屋が並び、占い師だろうか、軽妙なおしゃべりで観光客を惹きつけている。

あーあ。こりゃまったき「パワースポット」じゃねえか。非常に落胆した。
入口でチケットを渡すと、受付の女性は電話を首と肩にはさみ、会話を続けながらちぎってくれた。
まず、斎場御嶽の簡単な歴史と注意事項をビデオで学ぶ。
大庫理(ウフグーイ)。大広間の意味で、斎場御嶽最初の拝所。

斎場御嶽の中でももっとも有名な「三庫理」(サングーイ)を横から。
「三庫理」から久高島を望む。久高島が「神の島」とされるのは、首里から見て東、太陽の昇るところであることと関係があるらしい。なんだ、それだけ?と思うかもしれないが、神話や信仰とはそういうものだ。三輪山が奈良・大神神社の神体とされるのも、沖ノ島が福岡・宗像大社の神体とされるのも、その「場所」と深く結びついているだろう。

「神話」は言説に過ぎず、事実の単純さを覆い隠すのみだと考えるのは間違いだ。言説こそがこの世界を作るのであり、それはもちろん神話にも言える。神話こそが最も力のある言説であった時期があったことを、我々は忘れるべきではない。
これも沖縄の抱える「物語」の一つ。忘れられるはずもない。

「寄満」(ユインチ)。豊穣の満満ちる所という。

斎場御嶽、やっぱりすごいところだ。
「斎場御嶽入口」のバス停は、行きと帰りで場所が全然違うのでわかりづらい。那覇市内からだと、行きは南城市地域物産館の近くにバス停があるが、帰りは斎場御嶽参道と直交している海沿いの道路を、交差点にある郵便局から少し山側に上ったところにある。ここからの海の眺めもまた綺麗。
バスを乗り継いで那覇市内に戻り、沖縄県立博物館・美術館へ。
博物館では沖縄の自然史・政治史・文化史にまつわる展示をみた。もちろん、「万国津梁の鐘」も。それから、美術館では石川竜一が監修した「写真家が見つめた沖縄1972-2017」(http://www.nhk.or.jp/okinawa/fukki45/)を見た。特に野村恵子さんの写真が印象に残った。
安里にあるこの「山羊料理 二十番」こそが何を隠そう、この旅の最大の目的店であった。が、前日もこの日も何度訪れても開いていない。
山羊料理のあきらめきれない私は旭橋駅から沖縄最大の風俗街で前夜に自動車内から見物した「辻」を突っ切り、次善として見つけておいた山羊料理の店へ。

が、現地について、その店構えから、ああ、これはダメだなと思った。実際、山羊刺しには失望した。旨いとかまずいとかではない。この店の山羊刺しはひたすら味気ないのだ。
が、若い店主を応援するつもりで、てびち煮付けも注文。これまた味が抜けちゃっている。
というわけで、旅の最後はまさかの惨敗。失意のうちに旭橋駅に戻る。このままでは終われんよ。to be continued

那覇空港でもずくを買い、実家に送る。ANA478で出発。
2300羽田空港着。この後、京急や京王線を乗り継いで帰宅した。

鳥にしあらねば ~初めての沖縄③~

8日0700頃起床。
朝食。
夕食は期待したほどではなかったのだが、朝食はたいへん満足した。とくにアグー豚がよかった。夕食でも出たけど。

朝のアメリカンビレッジを散策。

ゴミひとつ落ちていない。

宿でグダグダした後、1030頃出発。
北谷の和食店「ひとしずく」で昼食。1130の開店直後に入れば予約は不要だろうと思っていたし、実際に入れた。だがかなりの人気店で、予約は必須だと思ったほうがよい。
前菜は生湯葉刺身、くらげ酢、海老手より寿司。それぞれの味、食感で味覚が活性化される。
椀は胡麻豆腐。蓋を開けた瞬間に出汁の香りに仰け反らせられる。というか、以前から思っているが、椀の蓋とはこのためにあるのだ。匂いに物理的な力を持たせるために。開けたものの額をクッと押させるために。
冷鉢は野菜の冷たい炊き合わせトマトジュレ掛け。炊き合わせ、この甘美な響き。
揚物は穴子大葉巻と豆腐揚げ出し。穴子はデカイ身を食べると野暮ったく感じ、噛み切り咀嚼することを義務のように思ってしまうが、このくらいだと集中できる。
食事は浅利と蕗ごはん。行く春を惜しむ。

デザートは3つから選べたが、何も考えずにゴマのブランマンジェ。これは胡麻豆腐とかぶってしまった。

さすがの名店。
北谷からバスで移動。沖縄本島滞在3日目にしてようやくの那覇。
これ、沖縄に行ったことのある皆さんはご存知かもしれない。沖縄都市モノレール(ゆいレール)の2日乗車券。購入時から48時間有効と良心的。たいへん助かった。

自動改札をくぐるとき、切符を差し込む窓がなくて往生し、あきらめて窓口で聞いた。QRコードを改札にかざすのだそうだ。
旭橋駅からゆいレールに乗り、首里駅で下車。修学旅行の中学生男子が、横断歩道でクラウチングスタートを決めようとしていた。
「龍潭」は人工の池である。
有名な守礼門。大人気。
世界遺産「園比屋武御嶽石門」。「御嶽(うたき)」とは祭祀の行われる聖所のことで、首里城周辺のみならず各処にある。門の後ろの森林が御嶽。開発でだいぶ縮小したという。
首里城は修理中。知っていたけど。

内部には「御後絵」という歴代琉球王の肖像画(実物は沖縄戦で焼失したため、そのモノクロ写真)や、紅型などの工芸品、江戸時代に琉球使節として本土を訪れた人々と本土人の交流を表す文物など、非常に興味深い品々が並んでいた。修学旅行の中学生がそれらをよく見ずに通り過ぎようとするので、首根っこ捕まえてよく見ろと言いたいくらいだった。
琉球王国の行政機構なんて、なかなかお目にかかれない。
2000年の沖縄サミットの参加者たち。ロシアの彼はこのときはまだ権力の座に就いたばかりだった。
首里城近くにある「玉陵」。「玉陵」は3つに別れている。「中室」は遺骸を放置し自然に朽ちさせる場。朽ちた遺骸は骨を洗われ、「東室」には王と王妃、「西室」にはその他の王族が安置される。

1931年に琉球最後の王・尚泰の長子・尚典の妻・祥子が葬られて以来、新たな被葬者はいない。

私が行ったときは地元の人が何人か祈りを捧げていた。
首里城近くの住宅地のこのような細い路地に入り込む。
このカフェ風の建物は沖縄そばの店「ほりかわ」である。私は現地に行って初めてこの店を知ったが、すでにかなりの有名店らしい。
「おすすめセット」は「ほりかわそば」と「じゅーしー」(炊き込みご飯)、「あーさかき揚げ」「シークァーサージュース」。「ほりかわそば」は確かに旨い。が、多少悪意のある言い方をすると、ああ、まあ、こういう隠れ家的カフェ風の店が、無科調にこだわってそばを作ると、こういう味になるよねって感じ。その店、前日に食べた名護の「八重食堂」とは文字通り「あじ」が違う。

が、訪れるべき店だと思いますよ、一度はね。
私は自動車の運転免許を持っていないので、この間はずっと公共交通機関と徒歩である。さすがに暑い。で、誘惑に負ける。一日外を歩き回ったので、私もすっかり沖縄色だな。と、顔を上げると、目の前に立っている男子高校生の肌の色が、私に、そんなものではまだまだだぞと伝えてきた。
ふらふらと歩いていたら、有名な繁華街「国際通り」にいつの間にかたどり着いていた。
ジュンク堂書店那覇店。友人への土産は石川竜一『okinawan portraits 2012-2016』を予定していた。が、赤々社に発注するも旅立ちに間に合わず。後日自宅に到着するのは自分用にすることにして、友人用のものは現地で調達。

東京に帰ってから見てみたけど、石川竜一はさすがに今を時めく人だ。しばらくは毎日飽かず眺めてしまった。
久茂地の「いちぎん食堂」。
「ゆしどうふ定食」(500円)。これでこの日4食目。「ほりかわ」は食べる予定ではなかったんですよ、言い訳すると。でもね。あんな店偶然見つけて、入らなかったら旅じゃないでしょ?
「いちぎん食堂」は繁華街「松山」の入り口にある。上間陽子『裸足で逃げる』に出てくる女性たちは、こういう街で働いている。
引き続き夜の那覇を彷徨っていると、映画好きには全国的に有名な「桜坂劇場」前を偶然通った。
仕事の終わった友人と那覇市牧志で待ち合わせ。
「餃子の店 新茶家」。友人が沖縄で一番旨いという焼き餃子。中にホクホクのにんにくが一粒入っている。普段餃子はそれほど食べるほうではないので、ここで食べたときはそこまでの強い感銘は受けなかったのだが、本土に帰って餃子を食べるだびに、この店の餃子の偉大さが思い出される。
「新茶家」からちょっと歩いたところにある「青島食堂」。名物の水餃子。私は「新茶家」の焼き餃子よりもむしろこちらの方が当日は感銘を受けた。見るからにモチモチの皮。餃子とは本来は水餃子のことなのですよ、と訴えかけてくる。ただし残念ながら店主は接客というものを知らない。客はあなたの敵ではないのですよ、本来は味方なのです、と教えてあげたい。
この後は友人の自動車でドライブ。写真は那覇バスターミナル(現在解体・新築工事中)にある「仲島の大石」(なかしまのうふいし)。写真に撮るのをためらう威厳。

繁華街「辻」を通るときには、自動車の中にいても客引きが寄ってくるので閉口した。私自身は、別に綺麗ごとで言うのではなく、女性にお金を払っておしゃべりしてもらったり遊んでもらったりするというのには、どちらかと言えば屈辱を感じるほうだ。

さらに那覇市を離れて、沖縄市の嘉手納飛行場第2ゲート前にある「コザゲート通り」も車内から視察した。嘉手納基地のまさしく「門前町」であり、最盛期のベトナム戦争時は1ドル=360円(1971年からは308円、73年以降は変動為替相場制に移行)だったこともあって、たいへんな繁栄ぶりだったそうだ。が、今となっては深夜に一人で歩くことは、私でも躊躇われるような閑散ぶりだ。
途中、沖縄のスーパー「ユニオン」で翌日の朝食である「チーズハンバーグサンドおにぎり」と「ルートビア」を買い、就寝。