2018年10月12日金曜日

「横綱」とは何か 一心@仙台

facebookですでに公開してあった2017年秋の東北旅行の思い出です。「一心」は本当にすごい店でした……。

仙台。東北地方の中心たるこの都市には、無数の通りが存在する。特に名高いのは定禅寺通りと国分町通りである。その2つの通りが交差する点の北西に立つビルの地下に「一心」はある。居酒屋好きならばその名を知らないはずがない。私も尊敬して止まないかの太田和彦師が「東の横綱」と評するあの「一心」である。

かつて友人が東北大学の院生であったため、私は仙台にはもう何度も来たことがある。「一心」についても、いつか訪れようと思っていた。今まで訪れたことがなかったのは、「旨いに決まっている」からだ。店を訪れる前からそんなことは分かりきっていて、それが私のモチベーションを削った。

ただ、今回の旅において、私には財政的な裏づけがあった。これは珍しいことで、実際、6年前に今回と同じように3泊4日で東北を巡った際は、2万円ポッキリで全日程をこなしている(あの時はネットカフェに2泊した)。が、今回は金銭的な余裕があり、出発前、同僚には「豪遊してくるから」と豪語した。2日前には東京から店に予約の電話を入れた。

メニューには「広瀬セット」「青葉セット」「定禅寺セット」があり、それぞれ税込みで6500円、8500円、10500円。「つきだし」が1500円(!)。プラスしてサービス料10%がつく。日本酒は、メニューを見て、2500円くらいで済みそうだと判断した。すると、それぞれのセットを注文した場合、つきだし、サービス料などを合わせると11550円、13750円、15950円ということになる、と頭で計算する。ただ、繰り返すが、今回は財政的な裏づけがある。最高値をいっても別に問題はなかった。

が、注文を聞かれ、「宮城県産酒四種セット」と「広瀬セット」をください、とよどみなく答えた。この口がだ!なんという小心!私は2週間ほど前に41歳になり、今後何年生きるかわからないが、たとえ何年生きようと、大事を為すことはないであろう。

目の前には書籍が並んでいる。
これだけでもちろん私の好感度はアップ。私に限らず、一人客はおそらくこの席に通されるのだろう。全く正しい。やはり太田和彦師のものが多い。特に『完本・居酒屋大全』はかなり年季が入っている。が、私は居酒屋伝道者としての師の才覚を十分知りつつも、しかし物書きとしては全くダメなことも同時に知っている。書棚からは、「蔵元交流会」刊行という『日本酒と私』を取り出した。



目次を見ると、かなりの専門技術書のようである。「序」には、筆者である上原浩氏の戦後の酒造を一線でリードしてきた自負と、日本酒の現在と未来への愁い、それを克服するために自分の経験を余すことなく伝えようという情熱が感得できた。

「一心セレクト宮城県産酒四種セット」(1500円)はご覧のラインナップ。

わざわざカウンターに酒瓶を並べてくださったので写真におさめる。まずは「宮寒梅」を一口。言うまでもないけどうまい。が、残念なことだが、この手の日本酒セットは飲む側にある程度の知識と集中力がないと違いまで感得することは難しい。

「一心」は「つきだし」が豪華なことで知られる。
もちろん私も知っていたのでさほどの驚きはなかった。

揚げ物三品。
このレベルの店ならば当然なのだが、重ね方に確りしたポリシーが感じられる。まず一番上にインパクトのある青魚。最後のものは紫蘇の葉で白魚を包んでいる。口直しを計算してのことだ。

生牡蠣、もずく酢、仙台茶豆。
茶豆については、まあ、我が故郷新潟にも旨いものはある。が、残念ながら塩を振りすぎている店も散見される。ここはそういうことはない。当たり前だ。ここはあの「一心」なのだ。牡蠣については、この牡蠣はまさしく「海のミルク」である。ミルクとしての牡蠣にも、ヘタなものだと、しょうがないから鼻つまんで飲み下すみたいなものもわりとある。が、ここの牡蠣はそんなことは全くない。よく噛み、じっくり味わった。そして自問した。この牡蠣は、確かにこの店で日本酒と共に飲み下される運命にあったのかもしれない。だが、飲み下す者が俺で良かったのだろうか?俺はこの牡蠣を血肉化するのに相応しい男だろうか?

そしてこの皿の中で極め付きは実はもずく酢である。もずく酢という料理には、上限があると、誰しもが想像するだろう。そんなに旨いもずく酢なんてあるわけないじゃんと。もずく酢なんて所詮はもずく酢でしょうと。おそらくはその通りだ。が、ここのもずく酢はその上限を軽々と越えている。上品な酢加減、軽やかな啜り心地。ここのご主人はもずくを愛し、最大限のrespectを払っている。私はそう感じた。

白焼きならびに肝。
ここで私を悩ませたのは、「肝」を食うタイミングについてである。これほどの店だ。「肝」もタダモノであるはずがない。いつ食うか。悩んだ末、白焼きが4切れなので、2切れ食べた後にすることにした。安直と批判する人もいよう。ならばあなたならいつ口にするのか?

白焼きは身は身、皮は皮で主張しがちだが、ここのは見事なマリアージュ。肝については、なかなか口にする覚悟が調わず、箸で摘んでは戻すの繰り返し。何度か試行した後ようやく口にした。確かに旨い。が、残念ながら私の感応力と語彙ではそれ以上の表現はできない。

ここで「ホッキ貝の焼き物」が出てきた。
今までは1皿ずつ供されていたのでこれは意外であった。私は白焼きについてきた塩やわさびで酒を試したかったので、皿を下げられては困ると思い、白焼きを1切れ残し、当初の予定通り、一心オリジナル限定酒という「伏見男山純米大吟醸中汲」をたのんだ。

「伏見男山純米大吟醸中汲」は期待にたがわぬものだった。ちびりと一口のみ、続けてもう一口と思ったところで、手が止まる。口中に芳醇な香が広がり、それが鼻に抜ける心地よさで、動けなくなるのだ。すばらしい。

塩は摘むにはしょっぱ過ぎた。塩なのだから当然だ。塩に罪はない。わさびはつまみにちょうど良かった。

ホッキ貝の焼き物は、うむ、王道の珍味という感じ。

そして「メカジキの鍋」。
ここで私はこの日最大の失態を犯した。先に豆腐を全部食べてしまったのだ。豆腐と見紛ったほかの白い塊は、メカジキの身であった。しまった!口直しが!だが慌てる必要はなかった。まだ白菜がたくさんあったのだ。よかった。これで乗り切れる。

セットは6品ということだったので、これで終わりだと思っていたら、最後に鮨三貫が出てきた。
「つきだし」は別カウントだったようだ。「マグロは気仙沼で一本釣りされて今朝上げられたものです」と説明され、ほお、と声が出た。気仙沼には2年前に行った。あそこの民宿「天心」の夕食も実に見事であった。

シャコは苦手なので先に食べる。が、ここのシャコがただのシャコであるはずがもちろんない。シャコをほおばりながら、ああ、これはこの宴の終わりを示すカウントダウンなのだなと気がついた。3、2、1で、それで終わりだ。が、惜しい気持ちはそれほどなかった。このような至福が、そう、至上の幸福と呼ぶべきものが、そう長く続くはずがないし、また、続いてはいけないのだ。最後に気仙沼を嚙みしめ飲みくだし、私の初めての「一心」体験が終わった。

会計は9900円。私はつきだしは別だと思っていたが、セットに含まれるようだ。これほどの店で、10000円でおつりがくるのは驚きだ。むしろ100円返していただいてありがとうと言いたくなった。

思えば、「広瀬セット」を注文して良かった。もし「定禅寺セット」をたのんでいたら、それはもちろん天にも昇る心地であっただろうが、おそらく、もうこの店に来ることはなくなっただろう。頂点を極めてしまうのだから。

「東の横綱」とは、単に地理的な話ではない。この店はまさしく日本の居酒屋の頂点だと確信した。東京にももちろん大好きな居酒屋がある。仙川の「メネフネ」も三鷹の「ひねもす」も百軒店の「百けん」も、いずれも劣らぬすばらしい個性の持ち主だ。だが、やはり「横綱」の地位にはこの「一心」こそがふさわしい。

横綱とは、他より乗り越えられるべき者の名である。他の力士が、現役の横綱が病み衰えることを待つしかないのであれば、相撲文化など終わってしまうべきであろう。そこに惜しむべき何ものもない。

私はこの国の政治には本当に絶望しつつあるが、この国の文化を、とくにこの「平成文化」を見捨てようとは全く思わない。今日の日本文化の担い手には、仰ぎ見るほどの志を持つ方が多くいることを、私は知っているからだ。この「一心」のように。

一心居酒屋 / 勾当台公園駅北四番丁駅広瀬通駅
夜総合点★★★★★ 5.0

2016年秋の瀬戸内旅② ~尾道の夜~

前記事と同じくfacebookですでに公開してあった2016年10月12日の旅の思い出です。

尾道の夜は意外にも最高だった。旅に出る1週間前までは、この日の宿泊先を福山にするか尾道にするかで迷っていた。尾道にしたのは、観光地として有名なことと、明日訪れる広島に近かったことによる。

宿についてもさほど期待しておらず、実際に大した宿ではない(それでも水準以上だと思うけど)。夕食も、下調べの段階ではとくに食べたいもの/行きたい店が見当たらず、駅前にチェーン店でもあればそこで済ませようかと思っていたくらいである。

来てみて初めて知ったけど、尾道には商店街の広い道とクロスして、私が1人やっと通れるほどの狭い路がいくつもあり、なおかつそこに店が点在している。






だいたいの店は20時台には既に閉まっていたけれど、宿から至近の「小鉢」という居酒屋が開いていた。そこと、その狭い通りを抜けたところにあるラーメン屋「クラウン」に、強いて言えば興味をひかれた。

さんざん迷い、何度も両店の前を往復したが、「小鉢」が店外に出していたメニューに「ちょい呑みセット 1500円」とあるのをみて、まあ、取り敢えずこれでお茶を濁して、それから「クラウン」でラーメンと焼き飯でも食べるかと決めた。「小鉢」には、居酒屋評論家として有名で、私も尊敬して止まない太田和彦師も訪れたことがあるというクチコミにも興味をひかれた。



店に入り、店と店主の佇まいを見て、この店にお世話になることに決めた。両者からは、そこはかとない味わいが染み出していた。

「ちょい呑みセット」は舞茸とゲソの造りであったので、それを熱燗で飲み下し、追加で冷酒と「土瓶蒸し」と「揚げ出し茄子とモチ」をたのむ。



土瓶蒸しというと、割烹の息子に生まれた私には良くない思い出がある。客の中には、土瓶の中身を全く食べない人が一定数いるのだ。出涸らしかと思ってしまうのだろうか。

「小鉢」のそれには、松茸がたっぷり入っていた。「国産ではない」と、予め店主からアナウンスされた。そんなことはどうでもいい。私はあなたの土瓶蒸しを食べようと思ったのだ。中には鱧や銀杏も入っていて、とくに銀杏の柔らかさ、臭みのなさは絶妙だと思った。もっというと、僕は今まで土瓶蒸しというものを好んで食べたいものと思って来なかったが、これが味噌汁同様に、日本酒にとても合うものだと今日初めて知った。日本酒通の間では、たぶん既に有名なのだろうが。

ご主人との間に会話はなかった。私からも振らなかったが、会計の後、どうしても言いたくて、とくに土瓶蒸しはすばらしいと思いましたと伝えた。

次にラーメン屋「クラウン」。事前の情報がなければまず入らない外見である。また、「食べログ」での評価の高さは知っていたが、期待はさほどしていなかった。というか、言われているほどの味じゃないだろうなと、経験的には感じていた。自分でいうのもおかしな話だが、僕を仰け反らせるほどのラーメンを出すのは難しいのだ。

ドアを開け、2130過ぎの店内で白と黒のハンチングを被った老夫婦が一つずつのラーメンと1皿の餃子をつまんでいるのを目撃し、感嘆の声を押しこらえた。この一事を以てしても、ここが名店であることは疑いようがなかった。


味噌バターラーメンをたのんだが、味云々などどうでもよいのだ。この旅はすばらしい旅としてここに確定した。

「小鉢」でも「クラウン」でも、広島カープのプレーオフの録画映像を流していた。ぜひ日本一になってほしいものだ。否、既に十分日本一かもしれないかもしれない。

最後に、駅近くの居酒屋「すからべ」でプリンをテイクアウトした。

ホテルに向かう道で、「プリンテイクアウト可」の看板を見て興味を持った。でも、居酒屋でプリンだけテイクアウトは申し訳ない気がした。だから本当は「小鉢」か「すからべ」かで大いに迷ったのだ。結局今回は「小鉢」に入り、「すからべ」のプリンはテイクアウトにしたが、私としてはこれはto be continuedのつもりである。


尾道にはいつか必ず再訪するであろうし、その時にはぜひ「すからべ」を訪れたいと思う。