沿線では盛り土作業が多く行われていた。
僕が旅をするのは過疎地が多く(というか、この国の大部分は過疎地だ)、そういう土地でバスに乗ると、乗客は僕一人か、もしくは乗客の中で僕が確実に最年 少かのどちらかだ。で、前谷地を出たところではそうだったのだが、途中の志津川バス停で女子高生が10人ほど乗り込んできた。なあんだ、俺が最年少じゃな くなっちゃったじゃん。
しばらく車窓の海などを眺めていたら、目の前にいきなりあの有名な南三陸町防災庁舎が現れて驚いた。気仙沼線の沿線だったのか!
ここでようやく気がついた。一緒に乗っている高校生たちは、4年前もこの辺りに住み、震災の直撃を受けたはずだ。当時は小学校高学年から中学生くらいか。今同じバスに乗っている彼女たちは、いったいどのような体験をしたのだろうか。何とも言えない気持ちに襲われ、白状すると、親指の腹で目の下をちょっと拭ってしまった。
彼女たちは、付近に人家など全く見当たらないバス停で一人二人と降りて行った。代わりに、本吉バス停で今度は30人ほどの男女の高校生が乗ってきた。頭数が増えると、私の思いのやり場は分散され、彼らの賑やかなお喋りに先程のような感情は湧いて来にくくなった(ひどい!)。
ケンショウとかいう男子は、「オレは視力が20.0だから、あの海岸を彷徨くヤドカリの姿が見える。」とか、「将来はkPhoneを作りたい。iPhoneみたいなのね。」とか、「スクーバダイビングに興味がある。飛んでいる飛行機から飛び降りるヤツ。」とか、次から次へと気宇壮大なことを言っていた。私の隣に敢えて座って仲間たちからその勇気を称賛されていた(失礼だろうが!)女子は、仙台に映画を見に行ってお金が無くなってしまったので、来週末の焼肉会は店ではなく彼女の家で開催したい旨友人たちに提案し、了承されていた。
ううむ、高校生同士の会話って、こんなに健全なものだったろうか?自分の時はどうだったかなあ。
最終盤まで順調に走っていたバスも、市街地ではさすがに渋滞し、予定より10分ほど遅く1730頃に南気仙沼バス停に着いた。
津波の被害が酷かった街に足を踏み入れるには、2011年の秋に石巻に行って以来だ。2年前にも石巻に行くつもりだったが、台風に直撃されて仙台のホテルから出られなくなり断念した。
とは言え、もう陽は暮れており、町の様子を伺うことは難しい。とりあえず、日帰り温泉を利用すべく、事前に調べておいたホテルに向かう。が、やはりと言うべきか、道路の様子が短期間にコロコロ変わるらしく、Googleマップがあまり役に立たない。いくつかの道路があったはずのところには、巨大な公営住宅が建設中だった。後で聞いたところでは、一戸建て住宅もこれから一斉に建てる予定という。
「観洋」というホテルの日帰り温泉を利用した。事前の調べでは800円ということだったが、実際には500円だった。
クチコミは賛否両論で、お風呂が期待外れと書いている人もいたが、そりゃあ期待しすぎでしょう。確かに写真の印象とは少し違うけど、そんなの十分に許容範囲。
とくに露天風呂は虫が浮いていたりは全くしなくてとても良かった。フロントの対応も良かったし。
が、泊まるところは別で、そこからタクシーに乗り、「天心」という民宿へ。外見は丸切り民家だし、中身も民家そのもの。だから先に日帰り温泉に行ったのだ。しかしちゃんと「じゃらん」経由で予約した。3部屋のみ。2部屋は「じゃらん」から、1部屋は「楽天」から予約できる。この日の宿泊客は私を含めて男性3人。1人1部屋ずつ。
ここのウリは元漁師のご主人と奥さんが造る質・量ともに豪勢な料理。食べきれない量が出てくる、とクチコミされていたが、私は他の方が満腹で手をつけられなかった物もお引き受けした。
フカヒレのスープ。
刺身。質・量ともにすばらしい。
マンボウの身。歯触りもおもしろい。
ナメコ。
ご夫婦のお知り合いの方々が撮影した震災当日の気仙沼の様子を記録したDVDをお見せいただき、お話を伺った。この宿は、震災時に縁者の捜索などにいたした方などを善意で泊めているうちに、その延長で始めたという。
実は、今回の気仙沼行の最大の動機は、この宿に泊まることだった。期待以上で満足しました。
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