2016年8月16日火曜日

天・地・人が交差する ~下諏訪探訪④~


根津八紘美術館」。どこかで聞いたことのある名だなと思ったのだが、産婦人科医として有名なだった。そういえば彼の医院は「諏訪マタニティークリニック」じゃん。1階のジェラート屋さんに興味があったんだけど、混んでいたので遠慮した。



日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」は、時間の都合上前を通過したのみ。


「食祭館」で「食べ歩きチケット」のシール3枚を使って「八ヶ岳牛乳ソフト」と「りんごジュース」。チケット500円に対し、200+200+360円=760円分を購入したことになり、元を取った。



ハーモ美術館」は諏訪湖畔に立つ。アンリ=ルソーやグランマ=モーゼスといった「素朴派」の作品を中心にコレクション。マティスやルオー、シャガールの作品も展示してある。「素朴派」は3年前に世田谷美術館で展覧会を見た。とてもすばらしくて印象に残っている。ここのコレクションも大したものだし、見せ方や建物自体も興味深い。


諏訪湖。糸魚川・静岡構造線と中央構造線が近くで交わる日本のへそ。


ヤツの姿は見えず。しかしうまいこと山の切れ目があるものだね。


夕食は湖畔の「あかり」

「御湖鶴」は地元・下諏訪のお酒。「みこつる」と読むそうだ。読めねえよ。

でもこの酒が本当に美味い!久しぶりに日本酒飲んで仰け反った。





「あかり定食」(2600円)を注文した。小鉢4皿とサラダ、それにメインとデザート付き。この日のメインは生姜焼き。ううむ、生姜焼きかあ・・・・・・。生姜焼きは驚くほど美味いものは想像できず、この店のも期待値の範囲内だった。他のメニューを試せば良かったなあ。



まあ、この日はたまたま巡り合わせが良くなっかったようだが、良店には違いない。


Googleマップを頼りに駅へ。が、この「現代の巫女」に道とは思えぬ道を歩かされる。しかも下諏訪駅の出口のない方に誘われ、5分間かなりの勢いでダッシュして何とか終電の2008発に乗ることができ、家路に就いた。

天・地・人が交差する ~下諏訪探訪③~



昼食はここ、「神楽」で。


おにぎりセットである「神楽御膳」と、卵かけご飯である「みすゞ御膳」があるが、「神楽御膳」にした。

メニューの隣に写っているのは、「万治の食べ歩きチケット」(500円)で、いろんな店でシールの枚数に応じてサービスが受けられる。既に1枚使ってあるのは、レンタサイクルである。この店に来る前にすぐ近くにある「儀象堂」に返却した際に使った。1枚で2時間無料。秋宮周辺には、観光スポットが徒歩圏内に集中しているので、自転車はこれ以上は不要だ。ちなみに、下諏訪全体でも観光スポットは狭い範囲にまとまっており、観光協会では主要部は徒歩で99分で回れると案内している。


他にも一品メニューがあるのでいくつか頼む。



のっぺいは冷やし汁。美味しいけど、やはり新潟の実家のものにはかなわないかな。実家も割烹を営むプロの味だからなあ。



「食べ歩きチケット」のシールを使って玉子焼。


ワカサギの唐揚げ。


地ものトマトと酢玉ねぎ。私は密かにトマト嫌いなのだが、ここのトマトは旨かった。



総じて満足のいくお店でした。こんなものが飾ってあった。



続いて下諏訪町立歴史民俗資料館。



宿場民家が保存されている。


下諏訪町の公的建物にはこのように観光客が自由に休憩できるスペースが整備されているところが多い。


体重111kgの私が乗ると確実にやばいな。というか、2階にあがるのも大丈夫なのか、床が抜けないかと、古民家では常に心配する。




青塚古墳は諏訪地方で唯一の前方後円墳だそうだが、墳丘の保存状態は良くない。


「今井邦子文学館」はその名の通りの施設。


今井邦子は大正・昭和期の歌人。アララギ派の島木赤彦(彼も下諏訪出身)に師事し、島木の死後は1936~48年に女性だけの歌誌『明日香』を主宰した。


この文学館は、江戸時代の茶屋で、邦子が育ち、『明日香』の編集所となっていた建物を修築・復元したもの。


邦子夫婦の写真。夫は戦前の立憲政友会所属の衆議院議員・今井健彦。なかなかの美男美女に見える。とくに邦子はどの写真を見てもかなりの美貌だ。


邦子は立憲政友会の機関誌『中央新聞』の記者だった経験を持つ。夫とはそこでつながった。


高村光太郎とも縁があるようで、彼は写真のような彼女の彫刻を制作したようだ。実物はどこにあるんだろう?



遺品からはそれなりに裕福な暮らし向きが伺える。


一通り見学した後、ここの管理をしている男性と話す。歴史民俗資料館やここのように、下諏訪のところどころに残る歴史的な建物は、町が買い取り保存しているそうだ。普段は彼のようなシルバー人材センターから派遣された方が管理しているとのこと。ただし、今井邦子は町でも知る人は多くなく、ましてや全国的にはほとんど忘れ去られた存在なので(私も知らなかった)ここは訪れる人は少ないとのこと。下諏訪は上諏訪に比べると観光開発が進んでいないので、観光客数ではやはり後れをとっていると。

私は、観光的に見てもとても良い町だと思いますけどねと、決してお世辞ではなくそう言った。実際、観光客への気の遣い様は、レンタサイクルにしても町内各地の休憩所にしても、決してうるさすぎないが、しかし良く行き届いている。

「この町は山里だけど、各時代ごとにさまざまな顔を見せる、おもしろい場所なんですよ」と彼は言った。これもまたその通りだ。ついでに言うと、歴史だけでなく、地理的にもおもしろい場所である。そう私が話を振ると、そうそう、和田峠とかね、とのお答え。和田峠は下諏訪町の北東にあり、ここで取れる黒曜石が石器の材料として縄文時代に広く流通していたことで知られる。和田峠の名がすんなり出てくるあたり、男性は教育関係者だったのかもしれない。こういう場合、適度に質問するのは相手も喜んでくださるが、あまり細かい質問をすると相手を困惑させてしまうので気を遣う。が、もっと突っ込んでも良かったかもしれない。

天・地・人が交差する ~下諏訪探訪②~


毒沢鉱泉 神乃湯」。「日本秘湯を守る会」会員宿である。入湯料800円と、小さなタオルの代金200円を、感じの良い受付の女性に支払う。バスタオルは府中から持参した。



飲泉もできる。飲んでみると、良く言えばスポーツ系飲料、悪く言うと胃液の味がした。表現は不適切かもしれないが、意味内容的には完全に正確であると自負する。良い湯であった。またぜひ来たい。今度は自転車ではなく。


帰りはほぼ全域が下りなので当然楽。あの「永遠の200m」の途中にある広場には「らーめん」と書かれたワゴンがあった。まさかこんなところでラーメン屋をやる人がいるはずもないが、もしここでラーメンが供されるのならば、食べてみたいものだ。


帰りは来た道とは違い、国道142号線を通った。というか、こっちの方が遙かに勾配が緩いじゃないか!春宮や石仏が142号沿いではないので行きでは使わなかったのだが、こちらのルートの方が圧倒的に楽。往復の順番を間違えたな、これは。

142号線は山際を走っている。そして、その山際にはこのようなアニミズムを感じさせる小さな神社が点在している。アニミズムに目のない私はその都度自転車を停めた。


アニミズムに目がないと言っても、山道を登るのは切ない。看板によると、この上には興味深いものがあるらしいけど、その気力も体力もない。看板には、「修験道」とはっきり書かれていて萌えた。まあ、そうでしょうね。


この神社にも四隅に御柱。

諏訪地方の「御柱祭」のことは勿論ずっと以前から知っていた。が、不思議だったのは、神社の四隅に柱を立てるだけ、というその抽象性である。いったいどういう意味があるのか、それを遡れないほど抽象的なように、私は感じていた。


が、諏訪大社の4社(上社前宮・本宮、下社春宮・秋宮)だけでなく、こうしてあらゆる神社に御柱が立っているのを見て、ある仮説が思い浮かんだ。この形式こそが多神教信仰の、すなわち「一木一草に宿る神」の身体化につながるのではないかと。どの神をもおろそかに扱わず、森に分け入り、人の手で自然から切り出した木をこうして山際の祠に押し立てることで、神たるありふれた自然と人との接続を試みたのではないか。


8月~1月に祭神の祀られている下社秋宮。




御柱大先生。




下諏訪宿の「本陣」、すなわち、大名や高級な公家の宿泊所であった岩波家の屋敷。


現在でも岩波家がここを守っており、受付は27代目の当主の奥さんがなさっていた。80を超えるという。いろいろなお話しを伺った。隣に「かめや」という下諏訪でも最高級の宿があるが、もともとは本陣と同じ敷地であり、あちらは分家であること。分家は設備投資を重ねて「かめや」を育ててきたが、それが過剰で数年前に倒産してしまったこと。現在は経営者が変わってしまったこと。

実は旅行前の下調べの段階で、上の事情はある程度知っていた。が、当事者から聞くと味わい深い。


28代目は諏訪湖の対岸で「SUWAガラスの里」という美術館を営んでいるという。今回は行くことができなかったが、機会があれば足を運びたい。


明治天皇の叔母・和宮も14代将軍徳川家茂との婚姻のため江戸に向かう途中でここに泊まったという。




「君がため民のためならおしむまじ 身は武蔵野の露と消えなむ」
この歌だけ見ると、嫌々ながら悲壮な決意でと読み取れるし、最初はそういう気分だったのかもしれない。が、実際には家茂との仲は円満だったと伝えられている。


和宮の甥の明治天皇も休憩したそうだ。


この部屋がそこ。



寝そべれば良かったなあ。和宮や明治天皇が寝たり座ったりした畳は、既に交換されてしまっていると思うけど。