2015年10月18日日曜日

南東北100時間の旅③ ~気仙沼→一ノ関→仙台→山形~

10月8日、気仙沼の民宿「天心」で0730から朝食。秋刀魚は言うまでもないが、普通の梅干しの美味いこと。真ん中にちょこっとあるのはウニの塩煮だ。


今回同宿だった人は、ずいぶん長いことかけて日本中を自動車で旅しているそうだ。前日は八戸に泊まり、その前は北海道を幾日かかけて回ったとか。この後は猪苗代湖経由で宇都宮に宿泊し、翌日は長野、翌々日は大阪だと言っていた。恐山に寄ったそうだ。あそこにはぜひ行っておいた方が良いとのアドバイスをくれた。すぐには厳しいかもしれないが、何年かかっても行くつもりでいる。

で、その話を横で聞いていた宿のご主人が、自分たち夫婦も恐山には行ったことがあると言って、その時の写真をテレビに映して見せてくれた。で、その流れで、ご主人がケープタウンに行ったときの写真も見せてくれた。

ご主人が元漁師なのは知っていたが、遠洋漁業の漁師だったのか!地元の水産高校を卒業後すぐに漁師となり、40年ほど働いたという。漁船においては、多くの場合、日本国籍者は自分だけだったという。それは別に珍しいことではなく、そもそも遠洋漁船の乗組員は国籍を散らすものなのだそうだ。同じ国籍の者ばかりだと、大海のど真ん中で団結し、団体行動権を行使してしまうので困るのだという。なるほど!普段は憲政擁護、人権の最大限の尊重を唱える私も、これには妙に納得してしまった。ちなみに、遠洋漁船は1年半ほどの操業中は原則として港には寄らないのだとか。食料や燃料の補給、物資の搬出は、基本的には全て海上でやるのだという。それでも何かの時には港に寄るそうで、だからケープタウンの写真があった。

ケープタウン、世界史好きなら憧れないはずのない地名だ。多国籍の船員同士の会話は英語でなされるという。今はもう忘れてしまったと仰っていたが、そんなことはないだろう。断っておくけど、ご主人は外見上も話し方なども、朴訥たる三陸人そのもので、やたらな鋭さなど微塵も感じない。僕は人を見抜く目には相当な自信があるけれど(そしてそれは今も変わらないが)、自分のイマジネーションの届かぬことなどいくらでもあるものだ。

そんな話に花が咲いていると、奥さんが心配して割って入ってきた。出発時刻は大丈夫か、と。慌てて仕度をする。奥さんと、それから同宿した男性が玄関で見送ってくれた。奥さんには、またぜひお邪魔させていただきます、と言ったが、さすがに彼の方には「また」とは言えなかった。お互いに名前すら名乗らなかったわけだし、さすがにもう二度と会うことはないだろう。旅好き同士、もっと時間があればさらに盛り上がれたとは思うけど。

彼には、前日の夜に日本酒「六根」を奢ってもらった。福岡の人である、ということだけは、奥さんの話から知った



ご主人に自動車で送ってもらう途中、魚市場に寄った。そこで土産を買い、直ちに実家に送った。車内では、なかなか遠洋漁業の成り手がいない。けっこう良い給料が出て、食事の心配も要らないし、使うところもないんだから、若いうちに漁師を何年かやれば、それなりの蓄えができるのにね、といった話をした。じゃあ俺ももう少し若かったら、と一瞬思ったが、さすがにそんなに簡単ではないだろうなあ。



気仙沼駅でご主人と別れたのが0900。


そのまま駅前の観光協会で自転車を借り、入り江の周辺をめぐる。



 「福よし」は気仙沼はおろか日本全国においても屈指の名居酒屋である。「天心」は朝食のみにして、夜はこちらにしようかと予約前には思ったのだが、結局「天心」で夕食もたのんだ。どちらを選んでも正解だったと思うし、「大正解」は気仙沼に2泊して、どちらも味わうことであったろう。



気仙沼は海のすぐ背後に山がある。というか、リアス海岸というのはもともとそういうところをいう。河谷に刻まれた山地や丘陵地が、海面に沈降してできたのがこの地形なのだから。



 丘の上にチャペルを見つけ、行ってみようと思ったが途中で道を失った。






入り江が綺麗に見渡せるスポットがあるのは知っているのだが、そういうところに自転車で行くのは相当に難儀なことであると、伊豆大島で学習済みだ。








入り江近くには、津波で破壊された建物がチラホラ残っていた。残っているだろうとは思っていた。震災の年の秋に石巻に行ったとき、海岸から数kmには何も残っておらず、たくさんの全半壊した建物が並んでいるのを見た。この辺りは2階を飲み込むほどの津波が押し寄せたことが示されていた。




で、ジャズ喫茶「ヴァンガード」を見た。この外観、萌えざるはなし!すげえ興奮した。


店内がまた激シブ!というか、ここも津波を被ったはずなのだが、どうしたんだろう?あと気になるのが「ヴ」の字だ。創業昭和42年という。その時代から「ヴ」と表記していたのか?まさか!



この道50年ほどになるはずのご主人にはいろいろお聞きしたいことがあった。でも何も聞けなかった。僕は誰彼構わず話しかけているような印象を持たれているかもしれないが、基本姿勢は「待ち」である。あちらが話しかけて来るのを待つ。なぜなら、僕は基本的には人見知りだからだ。しかし今回はさすがに話しかけようかと思った。でも結局は果たせなかった。1時間にスペシャルブレンドとバターココアを立て続けに飲み、去りがたい店を後にした。レジ担当がご主人と同い年くらいの男性だったのも謎だ。二人の関係や如何に?

いずれにせよ、気仙沼における私の「定カフェ」が決まった。「定宿」はもちろん「天心」。気仙沼には定期的に来ることになろう。




昼食は同じ通り沿いの喫茶店「マンボ」でラーメンチャーハンセットをたのんだ。デザートにアイスクリームが出てきて私を喜ばせた。






そして、卓上の「チョコレートパフェ」が大いに気になった。


「正しいチョコレートパフェは、地方にしかない。」というのは、私の永年の持論である。東京で食べる、1000円出したらおつりが100円未満、などというチョコレートパフェは、「正しいチョコレートパフェ」では断じてない。この店の620円のチョコレートパフェこそが「正しい」のだ。だからこそ、「地方の不可逆的衰退」が言われる今のこの国の状況が僕にはとても残念だし悔しい。もう、「正しいチョコレートパフェ」は絶滅確定なのか?そうは絶対に思いたくない。


自転車を過信して、時間を気にしな過ぎて、気仙沼駅着が1222の大船渡線発車ギリギリになった。観光協会に自転車を返したり、コインロッカー内のカバンを引き出したりすることすらもどかしく、列車に駆け込んだ。

大船渡線、もちろんこれが初めてだが、車窓の風景はすばらしかった。山、木々、田畑。1つ1つは見慣れた要素だが、ベストミックス。とくに、この沿線は日本有数の過疎地域のはずだが、駅周辺には小さいながらもひとかたまりの商店があったり、民宿があったりしたのが途中下車を誘惑した。ここにもやはり人の営みがある。まだ。



台風の影響で一ノ関駅到着が遅れ、ダッシュで乗り換えた東北新幹線もまた減速運転。


 仙台駅着が1440くらいになり、そこからモール街「ハピネス名掛丁」内にある「ゴントランシェリエ」で昨日いただいたクーポンをきっちり使用し、1500の定刻通りに発車した仙山線に飛び乗った。

仙山線沿線には「岩にしみいる」で有名な立石寺があるが、今回は時間的余裕がない。というか、過去に何度も登っているしね、あの山は。



 1625に山形着。そのまま予約していた「リッチモンドホテル」にチェックインした。



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