2016年8月16日火曜日

天・地・人が交差する ~下諏訪探訪②~


毒沢鉱泉 神乃湯」。「日本秘湯を守る会」会員宿である。入湯料800円と、小さなタオルの代金200円を、感じの良い受付の女性に支払う。バスタオルは府中から持参した。



飲泉もできる。飲んでみると、良く言えばスポーツ系飲料、悪く言うと胃液の味がした。表現は不適切かもしれないが、意味内容的には完全に正確であると自負する。良い湯であった。またぜひ来たい。今度は自転車ではなく。


帰りはほぼ全域が下りなので当然楽。あの「永遠の200m」の途中にある広場には「らーめん」と書かれたワゴンがあった。まさかこんなところでラーメン屋をやる人がいるはずもないが、もしここでラーメンが供されるのならば、食べてみたいものだ。


帰りは来た道とは違い、国道142号線を通った。というか、こっちの方が遙かに勾配が緩いじゃないか!春宮や石仏が142号沿いではないので行きでは使わなかったのだが、こちらのルートの方が圧倒的に楽。往復の順番を間違えたな、これは。

142号線は山際を走っている。そして、その山際にはこのようなアニミズムを感じさせる小さな神社が点在している。アニミズムに目のない私はその都度自転車を停めた。


アニミズムに目がないと言っても、山道を登るのは切ない。看板によると、この上には興味深いものがあるらしいけど、その気力も体力もない。看板には、「修験道」とはっきり書かれていて萌えた。まあ、そうでしょうね。


この神社にも四隅に御柱。

諏訪地方の「御柱祭」のことは勿論ずっと以前から知っていた。が、不思議だったのは、神社の四隅に柱を立てるだけ、というその抽象性である。いったいどういう意味があるのか、それを遡れないほど抽象的なように、私は感じていた。


が、諏訪大社の4社(上社前宮・本宮、下社春宮・秋宮)だけでなく、こうしてあらゆる神社に御柱が立っているのを見て、ある仮説が思い浮かんだ。この形式こそが多神教信仰の、すなわち「一木一草に宿る神」の身体化につながるのではないかと。どの神をもおろそかに扱わず、森に分け入り、人の手で自然から切り出した木をこうして山際の祠に押し立てることで、神たるありふれた自然と人との接続を試みたのではないか。


8月~1月に祭神の祀られている下社秋宮。




御柱大先生。




下諏訪宿の「本陣」、すなわち、大名や高級な公家の宿泊所であった岩波家の屋敷。


現在でも岩波家がここを守っており、受付は27代目の当主の奥さんがなさっていた。80を超えるという。いろいろなお話しを伺った。隣に「かめや」という下諏訪でも最高級の宿があるが、もともとは本陣と同じ敷地であり、あちらは分家であること。分家は設備投資を重ねて「かめや」を育ててきたが、それが過剰で数年前に倒産してしまったこと。現在は経営者が変わってしまったこと。

実は旅行前の下調べの段階で、上の事情はある程度知っていた。が、当事者から聞くと味わい深い。


28代目は諏訪湖の対岸で「SUWAガラスの里」という美術館を営んでいるという。今回は行くことができなかったが、機会があれば足を運びたい。


明治天皇の叔母・和宮も14代将軍徳川家茂との婚姻のため江戸に向かう途中でここに泊まったという。




「君がため民のためならおしむまじ 身は武蔵野の露と消えなむ」
この歌だけ見ると、嫌々ながら悲壮な決意でと読み取れるし、最初はそういう気分だったのかもしれない。が、実際には家茂との仲は円満だったと伝えられている。


和宮の甥の明治天皇も休憩したそうだ。


この部屋がそこ。



寝そべれば良かったなあ。和宮や明治天皇が寝たり座ったりした畳は、既に交換されてしまっていると思うけど。


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