2015年9月18日金曜日

まさに大地の藝術! ~越後妻有アートトリエンナーレ2015とその周辺①~

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のことはもちろん知っていた。が、今まで足が向いたことはなかった。先駆的なイベントで、かなり成功していることも知っていた。が、正直に言えば、僕はトモ・コスガさんのこの記事の終盤に出てくるようなイベントなのではないかと想像していた。だいいち、わざわざ十日町あたりまで新幹線で出かけて行って現代アートから何かを感得できるような鑑賞眼を、僕が持ち合わせているとは思えない。

なので、今回も当然行くつもりはなかったのだが、9月13日の終幕を控えて気が変わった。妻有地方には高校の後輩が営んでいる寿司屋がある。昨年も父の還暦祝いに託けて訪れる機会があったのだが、結局私は仕事があり、父母だけに行ってもらった。妻有なんてなかなか行く機会がない。「大地の芸術祭」はトリエンナーレ、つまりは3年に1度のイベントだ。これを逃せば3年後か。夏の仕事も終わったし、自分に「おつかれsummer」もしてあげたい。

では行くか。鮨喰うついでだ。

9月9日、0515にアラームを設定するも、案の定2度寝。それでも、0600には目を覚ました自分を褒めてあげたい。最低限のものをカバンに詰め込むも、いちばん肝心なもの、新幹線の切符がない!今月で39歳を迎える大の男が本気で泣きそうになり、やり場のない喚き声を多少上げてしまったが、自分が記憶していたのとは違う場所に置いてあった。

この時0618。ダッシュしてぎりぎり間に合う時刻だ。全速力で府中本町駅に駆け込み、0626の武蔵野線に予定通りの乗車。


大宮駅から新幹線。平日朝で、結構な混み様。指定席にしておいてよかった。


持ち物の確認。先ほど芸術祭に行くのは気が進まなかったみたいなことを言っておきながら、ガイドブックに全作品がみられるパスポート、おまけにパスポートを首からぶら下げるケースまで事前に用意しているその周到ぶりはなんなのだ?と不審に思われる方もいらっしゃると思う。弁明代わりに言っておくと、実はこのイベントの「本気度」を実感したのは、このガイドブックが宅配便で届いた前日午前のことだ。

え!272ページもあるじゃん!これはすごいぞ……。こんなに大規模だったとは!俄に興奮したが、その後2200まで仕事があり、帰宅も2300過ぎだったので、ガイドブックをじっくり読んでいる暇はなかった。新幹線の車内で総合ディレクター・北川フラムの文章を読んだけど、感情が論理に昇華できておらず、正直言って読みづらい。まあ、共感できる部分はあったし、これだけのイベントを一から立ち上げたのだから偉大なのだが。

ガイドブック自体は作品解説から詳細なエリアマップ、交通案内や飲食店などの便利情報も載っており、必携である。ちなみに、今回みたいな雨のときは、傘で手がふさがるので、パスポートケースも必需品だ。さらには、新幹線に乗る楽しみの一つである車内誌『トランヴェール』は、「奥州王が愛した食」が特集で、来月東北旅行に行く私にはありがたい。


越後湯沢駅で乗り換え。初めてほくほく線に乗ったが、これは妻有地方の人たちには確かに便利だ。1997年の開業以前は、越後川口駅を経由せねばならなかったから、40分以上は余計にかかったはずだ(調べてみたら、その程度だったけど)。

十日町駅の1つ向こうにあるまつだい駅に着いたのが0858であった。

松代町は2005年に十日町市と合併する前は1つの地方自治体だった。まずは駅のすぐ前にある「まつだい郷土資料館」を表敬訪問することにした。


築150年の農家を活用したものという。正直に言えば、あまり期待していなかった。この手の資料館は、どこに行っても、似たような民具が一通り置いてあるだけのことが多い。が、入口で、次のようなことがパネルに書いてあるのをみて、思わず落涙しそうになった。

「この資料館は地域の人々が力を合わせ、遠い昔から営々と築いてきた基本的な暮らしの姿を見つめ直し、これからの地域づくりに英知と勇気を得たいと願ってつくられました。」

ぬおお!そうなのだ!歴史を学ぶとは、歴史に学ぶとは、まさにこのことなのだ!別に英雄の超人的な事跡をたどることが歴史なのではない。「営々と築いてきた基本的な暮らしの姿を見つめ直し、これからの地域づくりに英知と勇気を得たい」、そのために「地域の人々が力を合わせ」て歴史を残す。仰ぎ見るほどの志の高さ!実際、僕は涙をこらえようと思わず上を向いてしまった。泣きそうになるのは、朝新幹線の切符を必死で探して以来、およそ3時間ぶりのことだ。

この他にも、展示されているパネルの説明がいちいち胸に刺さった。

「豊かな自然を基盤に、各自自営で農業を営むという積極的な生活意識の中で、民家はその生活に対応するように造られました。」
「生業の場としての土間、生活の場としての広間、接客の場としての座敷」

極めて合理的な建築ではないか。


最初に触れた作品は、資料館の中に展示されていた、田中望《ものがたりをつむぐ―雪にひらかれる道―》。

2階にはこの地域の信仰の中心である松苧神社関連の資料が展示されていた。


上杉謙信が奉納した軍配や短刀。この地の代官が持ち去って返さない神社の宝物を返してほしいと、神社の別当が当時のこの地の領主であった高田藩主・松平光長(徳川家康の曾孫、後に改易)に訴えた書状などが展示してある。「七つ詣り」という、数え年7つの子が地域の大人たちの協力を得て松苧山(360m)山頂の神社を目指す通過儀礼も、非常に興味をひいた。



この部屋に入ったときに、右手のはしごから降りてくる足が見えてぎょっとした。降りてきた女性は私を見て一瞬怯んだが、順調に降りてその場を去った。案内をみると、危険なので上がりたい人は係を呼ぶようにとあった。私は別にかまわないんだけどね。

この部屋のパネルも秀逸だった。中世の貫高制(所領の価値を銭で換算した表示)が、近世でおなじみの石高制(豊臣秀吉の太閤検地以降、米の体積で表示)になった事情が説明されている。それは16世紀、ヨーロッパ人に征服されたアメリカ大陸からの銀の大量の流入により、1560年代に国際決済通貨としての明銭(銅銭)の価値が大暴落したことによるという。ご存知のとおり、明銭はアジアの基軸通貨として当時の日本国内でも普通に使用されていた。ううむ、すばらしい。これぞグローバリゼーション。

今回展示されているパネルの多くは、芸術祭に合わせた特別企画展「京につながる越後妻有郷」(星憲一朗による調査・資料展示)のものであったようだ。が、常設展示も十分に見ごたえがある。

いやあ、ものすごく良いものを見せてもらった。これほどの文化度の高さだからこそ、「大地の芸術祭」を成功に導けたのだろう。そして、ここに来たのは正しい選択だったと確信できた。時間があれば一つ一つの展示をじっくり見たかったのだが、残念ながらその暇がなかった。


資料館を出ると、川の向こうにいくつかの展示が見える。


水玉模様で有名な彼女の作品。まあ、一応、念のため。


この地域の中心施設「まつだい雪国農耕文化センター 農舞台」に続く道には、松代の全世帯分の屋号が記された作品「まつだい住民博物館」(ジョセップ・マリア・マルティン)。ううむ、よい。



で、その「農舞台」だが、資料館の展示の観賞に時間をかけすぎて(後悔は微塵もないが)、中に入る時間がなくなってしまった。


川の向こう岸へ。


「城盗り橋」という名の橋を渡り、山中へ。


斜面上の、こんな狭い土地まで我々は耕してきたのかと、しばし感動。そして、この山中に作品を展示する意味に思い当たる。そうなのだ!ここに作品が展示されていなければ、私は見知らぬ土地の山道を登り、小さな畑に人間の営為を見出すことなどなかったのだ!ううむ、畏るべし、大地の芸術祭。


田中信太郎「○△□の塔と赤とんぼ」



世界の国々の名前が記されたパスカル・マルティン・タイユー「リバース・シティー」。


イリヤ&エミリヤ・カバコフ「人生のアーチ」。ここでしばらくゆっくりしたかったが、残念ながらその暇なし。


シモン・ビール「今を楽しめ」は、赤い屋根の建物の下に6つの冷蔵庫に入った6体の雪だるまが展示してある。


CLIP「遊歩道整備計画」。ごらんの通り壊れていて、わたるのがちょっと怖かった。

山道に規則的に並ぶ仏像は特に芸術祭の作品というわけでもなさそうだ。


白井美穂「西洋料理店 山猫軒」。ドアには宮沢賢治『注文の多い料理店』の一節が綴られている。


別にどうということのない、休耕田の水溜りだが、そこから沸き立つ臭いは、我々新潟県人には馴染み深い、紛う方なき「農」の臭いだ。

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