2016年3月13日日曜日

遊ぶ春日は 暮れずともよし 故郷新潟4泊5日③ ~新発田と寺尾を味わう~

2月28日朝、2歳の姪が私の部屋に遊びに来てくれた。





姪が私の見ている前でボールを隠し、私に目をつぶって10数えるよう要求し、目を開けた後ボールを探すように指示し、先ほど姪が隠したところからボールを見事に見つけ出すという、天国のような/地獄のような遊戯におつきあいする。

子どもは時間に対する認識がないので、僕は大人が時間の切断を押しつけるようなことには細心の注意を払うべきだと思っている。この朝はやらねばならないことがあったが、極力姪の遊びにつきあう。姪が部屋を出たところにちょうど彼女の母親(つまり私の実妹)がいたので、自然に彼女を預けて、髭剃りを買いに片道徒歩15分ほどの「セーブオン加茂桜沢店」へ。



家に戻り、9歳の姪も加わって再びおしゃべりなど。今時の2歳児はグーグルの音声検索もできてしまうのか。デジタルネイティヴとはこういうものか。



料理人である父が焼いた魚を手土産に、写真家・牛腸茂雄の生家、「ヤマヘイ金物店」へ。ここの話は別にブログ記事にするつもりだ。


牛腸に関する貴重な資料を見せていただいた後、帰りは牛腸のお兄さん夫婦に玄関先まで送ってもらう。店の前には、牛腸の最後の作品である「幼年の『時間』」というタイトルのついた像。「子供には時間の意識がない。大人にもそんな時間があっていい」という牛腸の言葉が添えられている。




羽越線で新発田へ。


新発田駅。ここも降りるのはやはり初めてだな。



シンガポール食堂。


「シンガポール式さらうどん」と称される「オッチャホイ」がここの名物。先代店主が幼少期を過ごしたシンガポールを懐かしみ、その時の思い出の味を再現したとか。



新発田のキリスト教会建築もおもしろい。



『忠臣蔵』で有名な堀部安兵衛生誕の地。テロリストめ!



「たべたか屋」。とても営業中には見えないが、めちゃくちゃ惹かれる。でもさっき昼食たべたしなあ。



新発田城趾。カモがたくさん岸に上がって休んでいた。



新発田城は冬期休業中であった。



新発田発展の礎を築いた上杉謙信の家臣・新発田重家の像と彼の墓のある福勝寺。彼は謙信の後継者・景勝に背いて6年間に渡って反乱するが、討たれた。



この辺りは寺町になっており、新発田藩主溝口家の菩提寺・宝光寺などもある。






溝口家下屋敷跡に残る「清水園」。






新発田藩4代藩主溝口重雄の時に遠州流茶人で幕府庭方の縣宗知を招いて下屋敷に作ったとか。

その後、明治に入って新潟屈指の豪農・伊藤家に買われ、現在は伊藤家が運営する財団法人北方文化博物館の所有になっている。


書院に入る。





私のヘタな写真でもこの眺めの良さはかなり伝わるのではないか。



武者劃。藩主警備のための控え室という。コンセントがあったからには、充電でもしていたのだろう。


藩主の上段の間。ここからも庭が見えるようになっている。






園内には池を取り囲んで茶室が5軒。






「くくとなき ころころとなき かかとなく
 これさ 蛙のよろこぶうたか」




















園内には資料館もある。


歌貝。すばらしい。


徳川家康から初代藩主溝口秀勝への歳暮の目録。


花押の印鑑。


幕末を生きた第11代藩主・溝口直溥の和歌
「うつもれて 去年より越しの 雪ながら
 霞にハルの 色やあらわる」
良いじゃないですか。未だ雪深い地に訪れた春のきらめきが素直にとらえられている。



資料館の入っている建物は、もともと米蔵だったそうだ。で、お食事処も併設。日曜日は休みだったが。









足軽長屋。1969年までは実際に人が住んでいたという。




白新線に越後線を乗り継いで新潟市・寺尾に移動。



私の新潟における最大のお気に入り喫茶店「交響楽」。


「ハラールモカ」に自家製ロールケーキ。新潟でここまでコーヒーにこだわり、なおかつ確かな技術もあるお店はなかなかない。

で、この朝牛腸茂雄のお兄さんからご厚意でいただいた写真集『SELF AND OTHERS』。



この写真はお兄さんの奥さんと、その娘の里美ちゃんのもの。加茂警察署前が撮影場所だって聞いてしまったら、加茂出身者なら「おおお・・・・・・」って思いますよね。すばらしい写真集。本当にありがとうございます。



で、その「交響楽」の前の道路を西へ1kmほど歩いたところにある、これまた私の新潟における最大のお気に入りラーメン店「丸木屋」。建物自体が店主のセルフビルド。



にんにくと朝鮮人参酒入りの「うま辛らーめん」。超極細の柔らかい麺と天然素材にこだわった繊細なスープ。ううむ、やはりたいへんに旨い。かつて本町通にあった頃から通っている。いつまでも続いてほしい店。


チャーシュー丼。



前夜、「魚仙」で呑んだ「鶴の友」。酒造所はこの辺にあるのか。



新潟駅。代ゼミ新潟校時代に毎日お世話になりました。今からちょうど20年前、おかげさまで第一志望の大学に合格し、その後様々な変転を経て、現在は代ゼミグループで職に就いている。いやはや。

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